節分と言うと豆まきが各地で見られますが、一部の地域では、柊鰯(ひいらぎいわし)と言って、柊と鰯の頭を木に刺したものを玄関などに飾り、鬼が入らないようにする魔除けがあります。

柊鰯(ひいらぎいわし)を飾る時期や期間は、地域や家庭ごとに異なります。

・小正月の翌日(1月16日 )から節分の日まで

・節分の日だけ

・節分の日から2月いっぱいまで

・節分の日からひな祭りまで

多くは節分の2月3日に飾ります。

また、飾る期間は「翌日には外す」ところが多く、中には翌年の節分の前日まで飾っておくところもあります。

このページでは、どうして「柊鰯(ひいらぎいわし)」の飾る時期や期間が異なるのか、さらに詳しく由来を解説しています。

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節分の柊鰯(ヒイラギいわし)はいつからいつまで飾るの?

節分は「季節を分ける」「節代わり」と言って、季節の変わり目、立春、立夏、立秋、立冬の前夜を言いますが、立春は、旧暦では「新年」にあたります。

旧暦とは、簡単に言ってしまうと明治の初めまで使われていたカレンダーの事です。

月の満ち欠けを基準にした太陰暦と、地球が太陽の周りを一周する時間の長さを一年とする太陽暦を合わせた太陰太陽暦でした。

月の満ち欠けだけでは一年が354日になってしまうので、太陽暦の一年を四等分にした春夏秋冬と、さらに二十四等分にした二十四節気(にじゅうしせっき)を取り入れ暦を作ったのです。

明治維新後、世界と交流する事が多くなったため、世界に基準を合わせる必要がありました。

現在のカレンダーは、太陽の回る周期を基準にした太陽暦ですが、厳密には一年は365.2425日になるので、4年に1度、うるう年をもうけ365日として調節します。

2月3日の節分は、旧暦では「新年」の前日、つまり「大晦日」となります。

その季節の代わり目には邪気(鬼)が生じ、災害や飢饉、病気など人を脅かす出来事は、鬼の仕業と考えられていました。

日本の農村では古来から、臭いの強いにんにくやネギ、煮干しやなどを火にくべて呪文を唱える「虫の口焼き」と呼ぶ、田畑の害虫を追い払う風習がありました。

季節の変わり目に邪気を払う目的と、冬から春にかけて虫が活動を始める頃の風習が一つになり変化していったと考えられています。

地域や家ごとに飾る時期や期間が異なる理由がわかる資料はありませんが、その土地の風土や行事と関係していたのかもしれません。

節分の柊鰯(ヒイラギいわし)の由来を解説!

どうして2月3日の節分に柊鰯を飾るのか、その由来の前に、「節分の豆まき」について説明をします。

季節の代わり目「節分」には、邪気(鬼)が生じると考えられていました。

科学のない昔には、病気や災いなどは鬼のせいだと考えられ、その鬼を祓う事で、家や健康を守ると信じられていたのです。

旧暦では2月3日の節分は大みそかにあたりますが、旧年の厄や災いを祓い清める追儺(ついな)、別名を鬼儺(おにやらい)と言って、もとは中国から渡来した悪鬼・厄神払いの行事を宮中が取り入れられます。

そして陰陽師により、鬼の面をかぶった人を弓矢で追い払う儀式が行われました。

弓矢が、どうして豆まきになったのかと言うと、平安時代の宇多天皇(867年6月10日~931年9月3日)の頃、京都にある鞍馬山の僧正谷というところに住んでいた鬼が、都に乱入しようとし、たくさんの炒った豆を鬼に投げつけ、目をつぶし災厄をのがれたとされています。

ここから「魔の目」つまり「魔目(まめ)」に豆を投げつけ、魔を滅したとなります。

室町時代の頃になると、民間に「鬼は外!福は内!」と豆まきとして広がり定着します。

無病息災は宮中行事だけでなく、人々の願いとして、季節の節目に取り入れられていったのではと思います。

確かに、この時期になると風邪をひきやすいので、気をゆるめないためにも、元気よく豆をまき健康に過ごしたいところです。

柊鰯の由来についてですが、古くから日本には「門守」という邪気などが入るのを防ぐために、家の門口に、神社のお札などをつける風習がありました。

また農村では、農薬などなかった遠い昔、臭いの強いネギやにら、髪の毛などを火に燃やして呪文を唱え、田畑の害虫を追い払った「虫の口焼き(むしのくちやき)」という風習があったそうです。

思わず想像してしまいましたが、科学などない時代は、全てが神事だったのだと思います。

どうして柊鰯を飾るようになったのか、古い記録として知られているのは、宇多天皇と同じころ紀貫之の土佐日記に記されています。

「小家の門のしりくべ縄のなよしの頭、柊ら、いかにぞ(正月の門口に飾ったしめ縄に、ボラの頭と柊の枝を刺していた)」

魚の「なよし」は、ボラの小さい時の名前になり、いわゆる「出世魚」でめでたい高級魚として貴族に親しまれていたと考えられます。

柊は、ギザギザのある葉っぱですが「ひどく痛む」を意味する「ひいらぐ」という古語が語源とされています。

このギザギザの葉には、邪気を寄せつけない効果があると考えられていました。

しめ縄に「なよし」と柊をつけ、門口に飾り魔よけにしていました。

これが豆まきと同じく民間で広まったと考えられますが、高級魚の「なよし」ではなく、鰯になったはっきりした理由はわかりませんが、焼いたときに臭いにおいがする事から、邪気を祓うと言われています。

また、鰯は魚偏に「弱」と書きますが、これは水揚げをするとすぐにダメになってしまい、生臭い臭いを放つことから「弱」がつきます。

そんなところから下賤な魚として「いやしい」が「いわし」になったという説もあり、平安貴族や身分の高い人は、口にするものではないとされていました。

ところが、かの和泉式部は鰯が好きで、旦那に隠れてコッソリ食べていたという話しがあり、その後、鰯の印象が変わったのか、時を経て、1224年の鎌倉時代に藤原為家が

世の中は 数ならずとも ひゝらぎの 色に出ても いはしとぞ思ふ

と「柊と鰯」を歌に詠まれており、この頃には「柊鰯」が飾られるようになったと思われます。

鰯の頭(かしら)も信心から

柊鰯は、節分に飾るとすぐに処分してしまう家もあれば、次の年の節分まで飾っている家もあり、「鰯の頭(かしら)も信心から」ということわざの由来は、ここからきていると言われています。

鰯の頭のようなつまらない物でも、信じればご利益になるという意味です。

節分の柊鰯(ヒイラギいわし)はいつからいつまで飾るの?由来を解説!まとめ

柊鰯の風習は、宮中行事と各地の農村での「虫の口焼き」の風習が一つとなったと見られ、飾る時期や期間など地域や家庭などにより様々です。

いつまで飾るのか、その理由についてはっきりした資料がありません。

人々の願いは、疫病や災いから家や家族を守り、豊作に恵まれる事でした。

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